まるっと、ごろっと、ゆるっと

元教員。現無職。33歳女子の公開ブレインダンプ。

教師をやめたわけ②

てことで昨日の続き。

 

 

最初に

「辞めてもいいんじゃん?」 

ってタイミングを迎えてから

それを見ないふりして、その後5年も教員を続ける事になる。

 

 

でもね、始めて3年目で

「あ〜、これから先、毎年教え子は変わるけど、

 結婚とか出産とかプライベートの変化があるとしても

 この生活のルーティンが退職するまで続くんだ…」

って、ぱーーーーーっと未来までの姿が想像できてたんだよね。

 

  

心の中には

「人生それでいいのか?」

って小さいしこりみたいのが残った。

※これ、現役で先生をやってる人の批判してる訳じゃなくて、「私の場合」ってことね。

 

 

それはね、多分、

初めて迎えた挫折経験(6年生の学級が崩壊寸前になる)を差し引いても

何故かそこに生きづらさみたいのを感じてたからなんだと思う。 

 

  

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+ 

 

 

社会に出てから学校っていうシステムを見てみるとさ

すごくダメな事多くない??笑

 

あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ

あーしなさい、こーしなさい…

 

私自身どうしてダメなのかわからないのに

「みんなそうだから」「人に迷惑かけるから」

とかって理由で「ダメ」って言ってる事もいっぱいあった。

   

    

でも、私はそこで

「私は違うと思うからやりません!」

っていう勇気まではなかったんだ。

   

「集会の時にちゃんと並べない子がいる」

「時間を守らないで休み時間を過ぎても教室の外に子どもがいる」

「他のクラスが禁止している事をウチだけが許したらそれがクラスが荒れる原因になるかも…」    

     

ちょっとでも外れた行動をすることは

「ダメな学級」

「ダメな教師」

のレッテルが貼られる気がして、

怖くてできなかった。

    

        

子どもがどう思うか、どうしたいか

それに対して私がどうしてあげたいか、

更には私自身がどうしたいか、

よりかも

周りの先生や保護者からどう思われるか

を優先して生活してた。

    

判断基準が常にそこだったな。 

 

  

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+

 

   

それから「自分には軸がない」って思って悩むようになった。

 

判断基準を他人にゆだねると

どんどん自分に自信がなくなってく。

 

判断が他人だから、

何がいい事で何が悪い事なのかも

だんだんわからなくなるの。

 

子どもを褒めるときも

自分の望む通りの行動をした時に

子どもを褒めている自分がいて、ぞっとした。

   

隣のクラスの先生が

「これだけは絶対に許せない!」

とか言って子どもを指導してたんだけど、

その感覚が全然理解できない。

  

そのクラスの先生子どもから人気があってね、

「やっぱり、そうやってちゃんと軸がないとダメなんだ〜…」

って思うようになった。

  

 

いろいろな制約が多い中でも、

授業をわかりやすく工夫したり、

ルールを守らせながらも閉塞感を感じさせず

上手に子どものエネルギーを発散させて

生き生きと活動させたり、

保護者からも信頼されて…

っていう先生がいるんだよね。

 

「そうじゃない自分はダメなんだ〜…」

 

って、思って

常に自信はなかったし

常に自分を責めてたよ。 

  

 

  

『学校』という特異な空間での息苦しさと、

そこから生まれた自己否定感。

 

更に、8割くらいは想像可能な自分の未来。

  

でも、そこから逃げる事は「人生負け」なんだという思い。

 

そんなものを抱え続けて、先生を続けているうちに

とある出会いがありました。 

f:id:keep-walking:20160519165705j:plain

 

つづく・・・