まるっと、ごろっと、ゆるっと

元教員。現無職。33歳女子の公開ブレインダンプ。

教師をやめたわけ③

仕事に

やりがいや楽しさを見いだせず、

むしろ、

変に真面目に考えすぎる持ち前の思考回路と

周りの目ばかりを気にした結果、

仕事への自信を無くし、自分を否定し続けてた日々。

 

そんな中で私は、

結婚する事で自分の存在価値というか、居場所というか、

そういったものを見つけ出そうとしてた。 

 

結婚して旦那さんという存在がいれば、

出産して子どもから必要とされれば、

自分は満たされるのではないか。

 

無意識的にそう思ってたんだと思う。

 

だから、

20代後半はとにかく結婚したくて焦ってた。 

 

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でも、その当時付き合っていた彼氏達は

結婚を意識しながら真面目に付き合ってるのに、

(いや、したからいけなかったのかw)

みんな半年ほど付き合うと、

様々な理由で私の元を去って行った。

 

そんな恋愛が何人か続き、

その当時付き合ってた彼氏とも別れの予感を感じた頃、

 

「これは自分に原因があるのかもしれん。何とかしなきゃならんな・・・」

 

と、思うのである。

 

29歳の誕生日を迎える手前だった。 

   

 

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+ 

   

 

「何とかしなきゃならんな・・・」

 

という私の目に飛び込んできたのは

1年ほど前にmixi(懐かしいw)のイベントで知り合った

ある人のtwitterだった。 

   

どんな内容だったか一時一句覚えてる訳じゃないけど、

 

「自分を思いっきり生きよう」

「一度きりの人生楽しもう」

   

みたいな感じだったと思う。 

 

 

それがね〜〜・・・

先生の生活をしながら

「人生これでいいのか?」

と思ってる私にはめちゃくちゃ響いた。

  

 

「1年ぶりの連絡になるけど・・・」

と言って連絡を取り、話を聞かせてもらうことに。

 

聞くと、

その人自身も鬱の経験があるという。

自信を持てなくて鬱々としている自分と

その人の過去を重ね合わせて、

「自分も変われるかもしれない…」

という、かすかな期待を持った。 

  

その人が開く飲み会や

仲間内のイベントに参加した後

「変化した理由」として教えてくれたのは

ネットワークビジネスだった。 

   

MLMマルチレベルマーケティングというビジネスの仕組み自体は

「すげ〜〜!やらない人いるの、これ?」

と思ったものの、

「変化した理由」

としては、何かちょっとショックだった。 

  

その違和感を、その時は結局無視してしまったけど

今考えると、 

    

自分が求める姿になるためには

別にこの方法じゃなくてもいいんじゃないか・・・?

  

という小さな疑問だったんじゃないかと思う。

   

    

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+ 

    

    

ばりばり公務員の私に

「ビジネス」

なんてものが理解できるはずもなく、 

 

ビジネス

自己啓発

承認欲求

 

をごちゃまぜにした状態で

ネットワークビジネスをしている環境に関わる事になる。 

   

 

気づけば

 

「教員を辞めたら食ってけない」

 

という不安は

 

「ネットワークで稼げば何とかなるっしょ!」

 

という安易な考えに変わっていた。 

  

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+ 

 

     

あぁ〜〜〜・・・

ネットワークビジネスという言葉を

私発信でweb上に載せてしまった・・・。

 

ここに抵抗があるところに、

まだ自分の中で消化されてない出来事なんだと再認識する。 

    

ネットワークビジネス」というのは、誤解の多いスタイルだし、

実際にそういうやり方もしてる人も多いらしい。

(これについては、いつかまた別記事で書こうと思う。)

    

だから一般的には評判悪いよねw

ネットワークビジネス」=「悪」=「嫌い」って人も多い。

     

ただ、私の中では別に「悪いもの」という捉え方はしてなし、

そもそも「好き嫌い」と「いい悪い」はイコールじゃない。

    

だから、「ネットワークだから」っていうだけで

私自身までもシャットアウトされてしまうのはすごく辛い。

(まぁ、他人の判断だから仕方ないけどね…)

     

そぉいう背景があるから、

私は今までこの言葉を封印してきたけど

そこを隠しても私の言いたい事は伝わらないからね、

勇気出して載せたよ。

 

あぁ〜・・・・

 

あとは野となれ山となれw

 

 

(次回で最後)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

教師をやめたわけ②

てことで昨日の続き。

 

 

最初に

「辞めてもいいんじゃん?」 

ってタイミングを迎えてから

それを見ないふりして、その後5年も教員を続ける事になる。

 

 

でもね、始めて3年目で

「あ〜、これから先、毎年教え子は変わるけど、

 結婚とか出産とかプライベートの変化があるとしても

 この生活のルーティンが退職するまで続くんだ…」

って、ぱーーーーーっと未来までの姿が想像できてたんだよね。

 

  

心の中には

「人生それでいいのか?」

って小さいしこりみたいのが残った。

※これ、現役で先生をやってる人の批判してる訳じゃなくて、「私の場合」ってことね。

 

 

それはね、多分、

初めて迎えた挫折経験(6年生の学級が崩壊寸前になる)を差し引いても

何故かそこに生きづらさみたいのを感じてたからなんだと思う。 

 

  

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+ 

 

 

社会に出てから学校っていうシステムを見てみるとさ

すごくダメな事多くない??笑

 

あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ

あーしなさい、こーしなさい…

 

私自身どうしてダメなのかわからないのに

「みんなそうだから」「人に迷惑かけるから」

とかって理由で「ダメ」って言ってる事もいっぱいあった。

   

    

でも、私はそこで

「私は違うと思うからやりません!」

っていう勇気まではなかったんだ。

   

「集会の時にちゃんと並べない子がいる」

「時間を守らないで休み時間を過ぎても教室の外に子どもがいる」

「他のクラスが禁止している事をウチだけが許したらそれがクラスが荒れる原因になるかも…」    

     

ちょっとでも外れた行動をすることは

「ダメな学級」

「ダメな教師」

のレッテルが貼られる気がして、

怖くてできなかった。

    

        

子どもがどう思うか、どうしたいか

それに対して私がどうしてあげたいか、

更には私自身がどうしたいか、

よりかも

周りの先生や保護者からどう思われるか

を優先して生活してた。

    

判断基準が常にそこだったな。 

 

  

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+

 

   

それから「自分には軸がない」って思って悩むようになった。

 

判断基準を他人にゆだねると

どんどん自分に自信がなくなってく。

 

判断が他人だから、

何がいい事で何が悪い事なのかも

だんだんわからなくなるの。

 

子どもを褒めるときも

自分の望む通りの行動をした時に

子どもを褒めている自分がいて、ぞっとした。

   

隣のクラスの先生が

「これだけは絶対に許せない!」

とか言って子どもを指導してたんだけど、

その感覚が全然理解できない。

  

そのクラスの先生子どもから人気があってね、

「やっぱり、そうやってちゃんと軸がないとダメなんだ〜…」

って思うようになった。

  

 

いろいろな制約が多い中でも、

授業をわかりやすく工夫したり、

ルールを守らせながらも閉塞感を感じさせず

上手に子どものエネルギーを発散させて

生き生きと活動させたり、

保護者からも信頼されて…

っていう先生がいるんだよね。

 

「そうじゃない自分はダメなんだ〜…」

 

って、思って

常に自信はなかったし

常に自分を責めてたよ。 

  

 

  

『学校』という特異な空間での息苦しさと、

そこから生まれた自己否定感。

 

更に、8割くらいは想像可能な自分の未来。

  

でも、そこから逃げる事は「人生負け」なんだという思い。

 

そんなものを抱え続けて、先生を続けているうちに

とある出会いがありました。 

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つづく・・・ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教師をやめたわけ

卒業してから30歳になるまで

千葉県某市で公立小学校の教員として働いてた。

 

    

「先生やってたんですよ〜」

って言われると、だいたいその後に帰ってくるのは

   

「あ〜、先生っぽい!」

 

 

「へぇ〜。何で辞めたんですか?」

  

のだいたいどっちか。

  

 

まぁ、「先生っぽい≒真面目そう」っことでもあるので

そこは私のキャラクターの問題でもあるわけ。

 

だから別にいいんだけど。

 

 

今日は、

何で私先生辞めたんだっけね?

ってのを書いてこうと思うよ。 

 

 

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+

 

 

まずね、そもそも私は

「夢と希望と情熱」を持って先生になった訳じゃなかった。 

 

小さい頃家が貧しくて

大学を出たら

とにかく食いっぱぐれないこと!

を第一に考えてた。

 

加えて、就活するのはめんどくさいw

 

教育実習行ったら子どもはそれなりに可愛かったし、

同じゼミのみんなは採用試験の勉強してるし、

試験受かれば先生になれるから、試験受けようかな〜。

しかも、公務員だし!!

 

 

これが、私が教職を選んだ理由である。

当然、他の就活生がやるような自己分析なんてしてない。

流されるまま試験勉強と面接対策をして

無事採用試験に合格したのでした✨

(ちなみに採用ランクというのがあって私はD判定。E以下は不合格なのでギリギリでしたw)

 

 

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+

 

 

んで、そんなこんなで先生になる訳だけど、

最初の3年間で

  

学級崩壊したクラスの担任(右も左もわからないのであっという間に1年が終わる)

   ↓

純粋無垢なクラスの担任(「先生って楽しいやん♬」を実感。)

   ↓

純粋無垢だった子ども達が崩壊寸前(どこで歯車が狂ったのか…最初で最後の6年生)

 

というのを経験する事になるのです。

 

まぁ、「学級崩壊」の定義によって捉え方は変わると思う。

少なくとも、彼らは授業中立ち歩いてはなかったし、

他の先生が入らなくても学級としては成り立ってたけど

 

子ども同士の仲は悪かったし、

(たぶん)いじめもあったし、

そもそもほとんどの子どもと心が通じてなかったし、

 

暗黒の1年でした。

 

学校行きたくなくて仕方なかったもんw

 

 

でさ、そんな嫌なら別に辞めてもよかったんだよね。

 

なのに、辞めなかったのには理由があった。

だって、

 

・学級崩壊したまま辞めるなんて、出来ない自分から逃げるみたい

・ってゆーか、私もっとできるはずだし

・子どもが変わればきっともっと違うはず

・結婚して専業主婦とかあり得ない(一応その当時彼氏いた)

・だって、仕事しないで扶養に入れてくれなんて重い女じゃん。(本当はそうしたかった。)

・やっぱこれからの時代、自立した女性にならんと!!

・一生懸命仕事して、ばりばり働ける女ってかっこいいじゃん✨

ってゆーか、何より仕事辞めたら食ってけない!

田舎に帰るのだけはいや〜!!!!!!

 

っていう、今考えると突っ込みどころ満載の理由を並べ立てて

 

たいして仕事が楽しくもないのに

かといって、「食ってくため」と割り切る事も出来ず、

中途半端な状態で仕事を続けることを選んだんです。 

 

 

 

 

ただ単に、

「辞める勇気がなかっただけ」

 

だって、人間、現状維持が一番楽だもの。

 

あーだこーだ言い訳して

結局やりたいことやらない方が、

欲しいものを「欲しい」って言わない方が

 

失敗もしないし傷つかないし

楽しくはないけど平穏でいられる。 

 

そんなことにその当時うーーーーっすら気づいてたけど

見ないふりしてたよね〜…

 

 

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ってことで、教員生活の序盤書き出したら

長くなっちゃったから続きはまた次回。